つばさブログ

音楽を聴いて思ったこと、本を読んで思ったこと

クリープハイプは武道館で解散する

クリープハイプは、解散するもしくはソロプロジェクトになる、とぼくは思っている。

こんな事をクリープハイプが大好きなぼくが思うには以下のような理由がある。

 

 

・音源を出していない

・尾崎さんのソロの仕事が増えている

春フェスに出ていない

・意味深なツアータイトル

・今、武道館を公演を行う意味

・武道館ライブのタイトル

 

 

それぞれを詳しく見ていきたい。

 

 

①音源を出していない

最後に正式な音源としてリリースしたのは、『イト』が最後である。

その後は、尾崎さんのソロでの楽曲提供やみんなの歌のタイアップしかなく、音源が出ていない段階での武道館公演は、疑問である。

今まで、新譜が発売されるごとにツアーを行ってきたが、『イト』のリリースに対するツアーが行われていないのも気がかりな点である。

 

 

 

②尾崎さんのソロの仕事が増えている

『苦汁200%』の刊行、今年に入ってダ・ヴィンチでの連載がはじまり、執筆業の活躍が目に見えている。

また、「FM802 X TSUTAYA ACCESS !」への楽曲提供、ソフトバンクの動画への出演とソロの大きな仕事が増えてきている。

その一方、バンドとしての活躍がない。

 

 

春フェスに出ていない

昨年まで出演していた「VIVA LA ROCK 2018」や「JAPAN JAM 2018」といった主要な春フェスに参加していない。

もちろんフェスに出ることが全てではないが、呼ばれないということは考えにくく断っているという方が自然であろう。

 

 

④意味深なツアータイトル

前回のツアータイトル「今からすごく話をしよう、懐かしい曲を歌うから」。

ファンと一定の距離感を取っていたクリープハイプが、ファンに寄り添ったツアーを行なった。もちろん昨年のクリープハイプモバイル会員限定ツアー「秘宝館」~満開栗の花~が大盛況に終わり、ファンのニーズが分かりこの行なった可能性もある。

 

 

 

 

 

⑤今、武道館を公演を行う意味

今武道館をやる意味とは何のだろうか?

武道館を恒例行事のように使うアーティストもいるが、

普通は一度きり、何かのターニングポイントで行うものであり、意味付けがある。

今回のタイミングというのは、クリープハイプにとって何か意味があるのだろうか?

もし意味をつけるとなると、クリープハイプの変化だろう。

 

そして、

⑥武道館ライブのタイトル

今回のタイトルは、

クリープハイプのすべて」だ。

とても意味深だと思ってしまう。

真のベストアルバム発売に合わせてのタイトルなら、まだ理解できるがこのタイミングでの「クリープハイプのすべて」とはどういう事なのだろうか?

もしかしたら、クリープハイプが一度終わること、止まることを意味してるのではないだろうか?

 

 

 

 

 もしクリープハイプが解散するなら……

もしクリープハイプの形態が変わるならば、何故発表しないか。

その答えは、「解散ライブ」と言ってくるファンではなく、純粋に好きなファンの前で伝えたいからだろう。

また、高知での弾き語りは、地方にこれから先行くことがないために行なったのではないか。

 

 

 

 

ここまで話してきて何だが、解散はないと思う。

皆さんご存知の通り夏以降のライブの日程が告知されている。そのため、『クリープハイプ』という名前は無くなる事はないだろう。

しかし、ソロ活動に移行する可能性はある。武道館でバンドとしてのクリープハイプを解散させ、銀杏BOYZのようにソロ活動になるのではないだろうか。

ソロ活動であれば、楽曲提供やコラボ、執筆に関しても今まで以上に精力的に行えるというメリットもある。

 

 

 

 

もちろん、ぼくも明日の武道館でクリープハイプが解散することもソロ活動になることも活動休止する事は望んではいない。

しかし、最近のクリープハイプの動向とライブタイトル「クリープハイプのすべて」が気になって仕方がない。

 

 

 

 

 

PS

実は今まで制作期間で、アルバムの発表があれば嬉しいな。

 

人との出会い方

 

様々な人と出会うことがあるけど、最近この人と違う出会い方だったら、この関係になっていないなってことがある。

 

今16歳の女子高生と仕事をしていて、対等の立場で意見をぶつけている。
もしこの人との関係が、教員と高校生だった
どうだろうか?
きっと対等の立場には、ならないと思う。高校生は、教員からの圧力を感じるはずだ。
教員は、生徒として扱うだろうから全くフラットな状態で意見をぶつけあうことはないだろう。


ぼくには。60代の音楽の師匠がいる。いつも音楽の話をするし、身の丈話も赤裸々にするし、話を聞いてくださる。
もしこの人との関係が、近所のおっちゃんと近所の青年だったらどうだろうか?
きっと相手の素性を知らずに、挨拶をする程度で終わっていただろう。

 

他には、
高校の同級生にバンドをやっている子がいる。その子とは、同級生として知り合ったから変な壁がなく話せる。
もしこの子ともしバンドマンとお客さんとして出会ったら、相当距離感を持ってたと思う。

 

 


出会い方がその人との関係を著しく決めてしまうことがあると思うと、出会い方って面白いなって思います。

 

 

 

 

 

PS
好きなバンドのメンバーと付き合う人っているけど、よく付き合えるなーって思ってます。ぼくにとってはとても不思議なことです。

解散ライブ=バンド史上最高ライブ?

 

解散するライブを観て、良いライブだった。
最高に良いライブだった。

 

突き放して言えば、最高なのは当たり前である。今好きな人も昔好きだった人も次がないことを分かっていて、一曲一曲を最高に楽しむ、狂ったように楽しむ、いつもの120%増だ。そんなオーディエンスが居たら最高にならないはずがない。
でも、ふと我に返ってみると、売れているバンドはこれをツアーのファイナルごとにやっている。
この最高なライブをバンドはやっていかないと大きくなれないのだと思った。
もちろん、それがいかに難しいかなんて野暮な話だ。オーディエンスには分かり得ない。
しかし、それが出来ないとダメなんだとは、感じた。
売れていくバンドは、最高のライブを(バンドがではない。バンドとオーディエンスが)しないと大きくなれないのだと。


最高のライブをしようと思っていないバンドマンは、恐らくいないはずだ。その一方、最高のライブにしようと思うオーディエンスはどの程度いるだろうか?最高のライブにしようと思ってライブを観ているだろうか?

 


バンドが解散してしまっては、ライブを体感すことはできなくなってしまう。
解散してしまう前に、
最高のライブのためにオーディエンスも最高に楽しもう!!

QOOLAND解散〜邦ロックが死んだ日〜

QOOLANDが解散した。
日本で唯一ロックをしていたバンドが解散してしまった。
この事によって日本のロックは死んだ。
4月7日、QOOLANDの命日であり、日本のロックの命日だ。

 

なぜQOOLANDが、ロックだったかと言えば「労働者階級」の音楽だったからだ。QOOLANDの曲に出てくる主人公は、優等生ではないし、教師から認められる訳もないロックンローラーを目指している。資本主義に反抗し、それでももがきながら自分のやりたい事で生計を立てる。間違いなくロックだ。

 

今売れているバンドは、どうだろうか?
歌ってる曲は、恋愛、身内や自分への不満ばかりでないか。それが果たして、ロックだろうか?
社会に抗うのがロックではないのだろうか。
また、今売れているバンドは、何十種類もグッズを出している。そして、ファンはそれを買い尽くす。正しく資本主義であり、資本主義に奢られている。そんなのは、ロックではない。

 

QOOLANDは、解散した。最後まで、勝ちにこだわっていた。そして、世間のいう一般常識に反抗していた。正しくロックだった。そんなバンドが解散してしまった。日本から、ロックバンドがいなくなってしまった。

 

しかし、重要なことを忘れていなだろうか。
「We are QOOLAND」であることを。
私たちの心の中に「QOOLAND」があり続ける限りロックは死なない。
MCで菅さんが言ったように80歳になっても90歳になっても「勝つまでが戦争」を歌い続けよう!!

最後に一言言わせて欲しい。

 

 

 

We are QOOLAND!!!!

 

 

 

 

 


P.S
平井さんが言った「ビートルズも19もOasisも解散ライブを行えなかったのに行えることを誇りに思う」というのが嬉しかったし、ファンとして誇らしかった。

本当に今までありがとう!!

QOOLANDファンの年齢層と労働者階級

QOOLANDのファンの年齢層は高い。

しっかりと統計を取ったわけではないがパッと見で20代半ばより上の人がほとんどだろう。少なくとも大学生が多いという印象は皆さんもないと思う。

それならば、なぜQOOLANDのファンの年齢層が高いのだろうか。

それではなぜ年齢層の高い世代に評価されるのかを考えて行きたい。

 

仮説として3つ考えてみた。

1つの仮説としては、「RO JAKCで優勝した時のファンが今でも多いのでは?」というものである。QOOLANDが優勝したのが2013年の夏。4年半前のことである。そのため当時20代前半だった人たちが年をとっていたら20代後半になっていてもおかしくない。しかし、どこか腑に落ちない。

2つ目の仮説としては、「音楽性が若い年代には受けないのではないか?」というものである。QOOLANDの音楽はタッピングを多用し手数が多い。だが、現在の流行りの音楽にもある四つ打ちや展開ごとにメロディが変わるような曲もあり、音楽性で若い世代が寄り付けない訳ではないだろう。

 

最後の仮説が今回話したいことである。

それは、「QOOLANDが労働者階級の音楽であるために労働者として働く世代に受け入れられているのではないか」というものである。

まず日本においては、労働者階級の音楽という考え方がないため、それについて説明したい。

まず簡単に説明すると、

上流階級の音楽というのは、オーケストラや室内音楽のことを指し、

労働者階級の音楽というのは、ロックなどのバンド音楽のことを指す。

日本においては、階級がないことやオーケストラなどにも触れさせようという教育がなされているためこの隔たりが、外国よりも薄い。

しかし、外国であればどうであろうか。

例えば、日本においてライブやコンサートを行われる場所を考えてほしい。基本的には、ライブハウスまたはコンサートホールであろう。ライブハウスは、基本的にバンドしか使わないが、コンサートホールは日によってオーケストラが使用する日もあればロックバンドが使用する日がある。

これが、イギリスならどうであるかといえば、コンサートホールとライブハウスは完全に分離されている。コンサートホールで、ロックバンドが演奏することがなければ、ライブハウスなんてもってのほかである。

 

なぜここでイギリスを引き合いに出したかというとQOOLANDの歌詞に“ピンクフロイド”やマンチェスターの兄弟(=Oasis)のようにイギリスのバンド名が出てくるためであり、これはVo.平井拓郎のルーツでもあろう。そして、何よりOasisは労働者階級を代表するバンドである。

Oasisは、労働者階級についてだ。

特にRock 'n' Roll Starでは、仕事に追われて、あっという間に1日が終わる。その現状から抜け出したいけど、抜け出せない状況にある。だけどもロックンロールスターになってこの現状から抜け出したいと歌う。

ここでQOOLANDの歌詞を考えてほしい。

ゆとり教育概論では、〈一生合いそうにない人と群れ 優等生になることが夢〉のように日本における上流階級になりたいと労働者階級の視点にありつつも、〈月収も根性で増やして暮らしていこう〉とOasisでいうロックンロールスターのように今よりも良い所に行こうと歌う。

このように、QOOLANDは労働者階級のことを歌っているのではないだろうか。

 

日本において階級というものは、ほとんどなく実感することはほとんどない。

しかし、社会人の中では学生時代よりも感じることが多いのではないだろうか。また、働くことによって、今まで持っていなかった葛藤があるのではないだろうか。それらの感情と歌詞が合致し、社会人がQOOLANDに共感をし、ファンの年齢層が上がっているのではないだろうか。

「初めまして」

「初めまして」
今年に入ってから、初めてお会いした方が20人以上いる。
新しいゼミの教授、SNSの知り合い、クリエイター、新入生etc…


SNSで出会った人と実際に会うことがたまにある。
相手の容姿と実際の雰囲気を知らずに会うのは、とても緊張する。
ネット上で文字だけで話している時は、勝手にアイコンと僕のイメージだけでキャラクターを設定してしまっている。
そのキャラクターと合致することは少なく、大抵違うがそれはそれで面白い。

 

今まで知らなかった人との出会いは、新しい価値観を手に入れられるチャンスであり面白い。
今年は、後どれだけ「初めまして」を言えるか分からないが、新しい出会いに期待したいな。

所信表明

今年度から、今までよりもペースを上げて投稿します。具体的には毎日投稿を目標にしていこうと思います。

最近書きたいことが多いし、なぜか文章を書くスピードが上がったのともっとより精度の良い文章を書きたいと思うようになったからです。

 

レビューは、毎日は上げられないけど1週間に一本とか上げながら、それ以外は普段のことを投稿していこうと思ってます。

 

ブログをメディアとして捉えると新しいものでは無いけど、YouTubeとかInstagramとか今までにないメディアが出てきた中で、文章っていうメディアも面白いのかなと思います。

 

時間がある時でいいので読んでもらえたらいいなって思います。