つばさブログ

音楽を聴いて思ったこと、本を読んで思ったこと

好きなことを誰かに言うこと。

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好きなことを、人に伝えるのって勇気のいることです。
誰かに批判されるのは嫌だし、誤解されたりするのもいや。ましてや、変に囃し立てられちゃったりもする。

 

ぼくも、高校生の頃は音楽聴くことを人に言っていなかったときもあるし、言ったとしてもぼくの思う精一杯のメジャーなアーティストの名前を言っていた。(知らないの言って引かれるのが嫌だった。)
もちろんそれで、普段の生活はなんとなくいい感じに進む。
だけれども、たまにバンドを聴くだけで「ロックなんだ」という訳の分からない烙印を押される。なぜこの場合烙印なのかと言えば、ロックに対する考えが“乱暴”や“浮世離れ”って思われているから。

 

そんな感じで、隠して生活していた頃流行りだしたSNSSNSにいる人は、そんな人ばかりだった近くに音楽のこと話せる人なんていなくて、話したくて仕方ない人ばかりだったから、自分の好きなものを伝えれば数珠つなぎに沢山の音楽を知ることができたし、自分の好きなものに対して年齢関係なく意見をぶつけ合えたのは楽しかった。

 

大学に入ってからは、自分の好きなことを言うことにした。もちろん自分が好きなものに反応してくれる人なんてまあいるわけがない。笑

けど、好きなものを隠すのをやめると回り回って仲良くなることができた。同じ研究室のやつとは、本当色々ロックやアイドルについて深く話した。
今の環境でも意外と「元軽音部でした」とか、「あんまり詳しくないけどこんなバンド聴きます」と言ってもらえるようになって話が広がることがあった。大学の教授ともそれで仲良くなったし。もちろん、自分から言わなかったら起こらなかったこと。

 

最初にも、書いたように自分のすきを人に伝えるのは怖いです。今でも否定されるのかなと言うこともあるけど、新しい人との繋がりになったら面白いなって思って話します。
色々な人と出会った中で、この人ならこの程度の話をしても大丈夫かな?って言うのは見抜けるようになりました。相手も探り探りなところがあるから、ちょっとずつ、バンドの知られている度合いを下げていったりもして。

 

リアルに会って話すでも、文章とかTwitterとか、ブログでもなんでも人と議論するのはいいことだと思います。自分の思いを言葉にするのって楽しいし、新しい考えも生まれるので。
四月に解散したバンドのことをブログやツイッターに投稿したら、間接、直接両方あったけど、議論が生まれたのはよかった。

 

 

克服策は、言ってしまえば無いです。
話してみないとどうしようもあります。
だけれども、この質問を送ってくれた方は話したいと思っているからこの質問を送ってくれたのだと思います。身近な人に話しかければ話を聞いてくれるはずです。

あなたよ周りにはきっと話しやすい人がいるはずです。まずは、そういう人に話してみたらどうですかね。慣れていけば、もっといろんな人に話しかけられると思います。
もちろん、ぼくに直接話しかけてくれたらめちゃくちゃ喜ぶのお待ちしています。直接が嫌なら質問箱に話しかけてくれればお答えします。

 

是非いろんな人と音楽について話してください!!

「今オススメのバンドは誰ですか?」とよく聞かれるので、邦ロックソムリエを始めます。

邦ロックソムリエ

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音楽好きで、年間100組のアーティストのライブは最低見ているし、音源だけとしてなら数えたことないけど少なくとも倍のアーティストに触れていると思う。
そんな中で、ある程度音楽に詳しいとフォロワーさん認識されるようになってきました。

 

そして、よく「今オススメのバンドは誰ですか?」って質問されます。
その人が普段聞いているバンドであったり、好きなバンドを教えてもらい、その人にあったオススメをしています。

 

そこで、思ったのです。新しいアーティストに出会いたいと思っている人は多いのではないのかと。
だけれども、ふらっと聞けない人もいるのかなと思い、今まで通りリプやDM(@tsubasa518)でも受け付けると共に質問箱(https://peing.net/tsubasa518)でも受け付けます。
質問箱に3組以上好き、もしくは興味のあるアーティストを送ってもらえれば、似たようなアーティストを紹介させていただきます。

どこまで、需要があるかわからないけど、お気軽に聞いてください!!

 

 

邦ロックソムリエは、人に紹介するなら肩書きとかあってもいいのかなって思ったので、考えました。音楽ジャーナリストって言葉もまだ最近の話で名乗り始めたら定着したらしいので、いつか定着したら面白いな。笑

 

 

写真は関係ないけど、ロンドンのライブハウスです。

 

 

ぼくはきっとまだ童貞だ。

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ぼくはきっとまだ童貞だ。

あ、あの人の匂いと思っても平日の昼間、しかもぼくの学校の最寄駅にいるはずがない。

去年不定休の仕事を辞めて、週休二日の仕事を始めたと聞いた。

でも、間違いなくあの人の匂いだった。あの人の匂いは、頭の中から消えやしない。一生消えないと思う。

 

 

 

『ショートソング』/枡野浩一を読んだ。

主人公の国友克夫ともう1人の主人公伊賀寛介。

それぞれの視点が交互に書かれ全100エピソードで完結する。

主人公の国友は、ハーフでイケメンだけど童貞の大学1年生。

もう1人の主人公伊賀は、国友とは真逆のプレボーイ、そして、短歌の天才。

そして、2人を繋いだのが伊賀の彼女の舞子だった。

 

国友は、童貞特有のすぐ優しくされたら好きになってしまう体質。

童貞は、女の人を疑うことのしないし、優しさは自分にだけ向いていて、優しさは好意であると信じきるもの。

伊賀は、取っ替え引っ替え女の人と、すぐホテルに行ってしまうプレイボーイ。

 

 

国友と伊賀は、伊賀と舞子参加している短歌サークル「ばれん」で出会う。

舞子が国友を連れて行った日、国友は舞子に好かれてると勘違いし、デートだと思ってついっていたら「ばれん」だった。好きな女性に振り回されている感じが童貞ぽくて可愛い!

 

国友が「ばれん」に初めて行った日、伊賀は国友の詠んだ短歌に才能を感じ、興味を持つ。

その後、伊賀と舞子のカップルとのデートに国友は毎度呼ばれ、その度に短歌について学び短歌を作り始める。もちろん伊賀と舞子が仲睦まじくしている脇で。

 

小説中では、何人ものの人が国友と伊賀の前に現れ、国友は童貞臭く手は出せず、惚れていく。その一方、伊賀は全ての人と一夜を過ごす。

 

しかし、国友は下半身は満たされずとも心が満たされ、伊賀は下半身は満たされるが、心が満たされない。そんな、それぞれの葛藤とともに話は進んでいく。

 

  

童貞って何故だか女性に好かれる。もちろん恋愛対象としてではなく……

好んでくれる人は、どの人も間違いなく優しいけど、きっと童貞だからより一層優しく感じたのだと思う。そして、その優しさに惹かれ、好かれていると思っている、恋愛対象として。

でも、likeとloveは違う。likeされていてもloveられていないのだ。それが分からないのが童貞だ。

 

 

街中を歩いているとたまに初恋の人の匂いがする。ドンキで売ってる安い香水の匂い。

もうloveられていないけど、likeされている。

その違いにいつまでも気がつけないふりをする、ぼくはきっとまだ童貞だ。

人との出会い方

 

様々な人と出会うことがあるけど、最近この人と違う出会い方だったら、この関係になっていないなってことがある。

 

今16歳の女子高生と仕事をしていて、対等の立場で意見をぶつけている。
もしこの人との関係が、教員と高校生だった
どうだろうか?
きっと対等の立場には、ならないと思う。高校生は、教員からの圧力を感じるはずだ。
教員は、生徒として扱うだろうから全くフラットな状態で意見をぶつけあうことはないだろう。


ぼくには。60代の音楽の師匠がいる。いつも音楽の話をするし、身の丈話も赤裸々にするし、話を聞いてくださる。
もしこの人との関係が、近所のおっちゃんと近所の青年だったらどうだろうか?
きっと相手の素性を知らずに、挨拶をする程度で終わっていただろう。

 

他には、
高校の同級生にバンドをやっている子がいる。その子とは、同級生として知り合ったから変な壁がなく話せる。
もしこの子ともしバンドマンとお客さんとして出会ったら、相当距離感を持ってたと思う。

 

 


出会い方がその人との関係を著しく決めてしまうことがあると思うと、出会い方って面白いなって思います。

 

 

 

 

 

PS
好きなバンドのメンバーと付き合う人っているけど、よく付き合えるなーって思ってます。ぼくにとってはとても不思議なことです。

解散ライブ=バンド史上最高ライブ?

 

解散するライブを観て、良いライブだった。
最高に良いライブだった。

 

突き放して言えば、最高なのは当たり前である。今好きな人も昔好きだった人も次がないことを分かっていて、一曲一曲を最高に楽しむ、狂ったように楽しむ、いつもの120%増だ。そんなオーディエンスが居たら最高にならないはずがない。
でも、ふと我に返ってみると、売れているバンドはこれをツアーのファイナルごとにやっている。
この最高なライブをバンドはやっていかないと大きくなれないのだと思った。
もちろん、それがいかに難しいかなんて野暮な話だ。オーディエンスには分かり得ない。
しかし、それが出来ないとダメなんだとは、感じた。
売れていくバンドは、最高のライブを(バンドがではない。バンドとオーディエンスが)しないと大きくなれないのだと。


最高のライブをしようと思っていないバンドマンは、恐らくいないはずだ。その一方、最高のライブにしようと思うオーディエンスはどの程度いるだろうか?最高のライブにしようと思ってライブを観ているだろうか?

 


バンドが解散してしまっては、ライブを体感すことはできなくなってしまう。
解散してしまう前に、
最高のライブのためにオーディエンスも最高に楽しもう!!

QOOLAND解散〜邦ロックが死んだ日〜

QOOLANDが解散した。
日本で唯一ロックをしていたバンドが解散してしまった。
この事によって日本のロックは死んだ。
4月7日、QOOLANDの命日であり、日本のロックの命日だ。

 

なぜQOOLANDが、ロックだったかと言えば「労働者階級」の音楽だったからだ。QOOLANDの曲に出てくる主人公は、優等生ではないし、教師から認められる訳もないロックンローラーを目指している。資本主義に反抗し、それでももがきながら自分のやりたい事で生計を立てる。間違いなくロックだ。

 

今売れているバンドは、どうだろうか?
歌ってる曲は、恋愛、身内や自分への不満ばかりでないか。それが果たして、ロックだろうか?
社会に抗うのがロックではないのだろうか。
また、今売れているバンドは、何十種類もグッズを出している。そして、ファンはそれを買い尽くす。正しく資本主義であり、資本主義に奢られている。そんなのは、ロックではない。

 

QOOLANDは、解散した。最後まで、勝ちにこだわっていた。そして、世間のいう一般常識に反抗していた。正しくロックだった。そんなバンドが解散してしまった。日本から、ロックバンドがいなくなってしまった。

 

しかし、重要なことを忘れていなだろうか。
「We are QOOLAND」であることを。
私たちの心の中に「QOOLAND」があり続ける限りロックは死なない。
MCで菅さんが言ったように80歳になっても90歳になっても「勝つまでが戦争」を歌い続けよう!!

最後に一言言わせて欲しい。

 

 

 

We are QOOLAND!!!!

 

 

 

 

 


P.S
平井さんが言った「ビートルズも19もOasisも解散ライブを行えなかったのに行えることを誇りに思う」というのが嬉しかったし、ファンとして誇らしかった。

本当に今までありがとう!!

QOOLANDファンの年齢層と労働者階級

QOOLANDのファンの年齢層は高い。

しっかりと統計を取ったわけではないがパッと見で20代半ばより上の人がほとんどだろう。少なくとも大学生が多いという印象は皆さんもないと思う。

それならば、なぜQOOLANDのファンの年齢層が高いのだろうか。

それではなぜ年齢層の高い世代に評価されるのかを考えて行きたい。

 

仮説として3つ考えてみた。

1つの仮説としては、「RO JAKCで優勝した時のファンが今でも多いのでは?」というものである。QOOLANDが優勝したのが2013年の夏。4年半前のことである。そのため当時20代前半だった人たちが年をとっていたら20代後半になっていてもおかしくない。しかし、どこか腑に落ちない。

2つ目の仮説としては、「音楽性が若い年代には受けないのではないか?」というものである。QOOLANDの音楽はタッピングを多用し手数が多い。だが、現在の流行りの音楽にもある四つ打ちや展開ごとにメロディが変わるような曲もあり、音楽性で若い世代が寄り付けない訳ではないだろう。

 

最後の仮説が今回話したいことである。

それは、「QOOLANDが労働者階級の音楽であるために労働者として働く世代に受け入れられているのではないか」というものである。

まず日本においては、労働者階級の音楽という考え方がないため、それについて説明したい。

まず簡単に説明すると、

上流階級の音楽というのは、オーケストラや室内音楽のことを指し、

労働者階級の音楽というのは、ロックなどのバンド音楽のことを指す。

日本においては、階級がないことやオーケストラなどにも触れさせようという教育がなされているためこの隔たりが、外国よりも薄い。

しかし、外国であればどうであろうか。

例えば、日本においてライブやコンサートを行われる場所を考えてほしい。基本的には、ライブハウスまたはコンサートホールであろう。ライブハウスは、基本的にバンドしか使わないが、コンサートホールは日によってオーケストラが使用する日もあればロックバンドが使用する日がある。

これが、イギリスならどうであるかといえば、コンサートホールとライブハウスは完全に分離されている。コンサートホールで、ロックバンドが演奏することがなければ、ライブハウスなんてもってのほかである。

 

なぜここでイギリスを引き合いに出したかというとQOOLANDの歌詞に“ピンクフロイド”やマンチェスターの兄弟(=Oasis)のようにイギリスのバンド名が出てくるためであり、これはVo.平井拓郎のルーツでもあろう。そして、何よりOasisは労働者階級を代表するバンドである。

Oasisは、労働者階級についてだ。

特にRock 'n' Roll Starでは、仕事に追われて、あっという間に1日が終わる。その現状から抜け出したいけど、抜け出せない状況にある。だけどもロックンロールスターになってこの現状から抜け出したいと歌う。

ここでQOOLANDの歌詞を考えてほしい。

ゆとり教育概論では、〈一生合いそうにない人と群れ 優等生になることが夢〉のように日本における上流階級になりたいと労働者階級の視点にありつつも、〈月収も根性で増やして暮らしていこう〉とOasisでいうロックンロールスターのように今よりも良い所に行こうと歌う。

このように、QOOLANDは労働者階級のことを歌っているのではないだろうか。

 

日本において階級というものは、ほとんどなく実感することはほとんどない。

しかし、社会人の中では学生時代よりも感じることが多いのではないだろうか。また、働くことによって、今まで持っていなかった葛藤があるのではないだろうか。それらの感情と歌詞が合致し、社会人がQOOLANDに共感をし、ファンの年齢層が上がっているのではないだろうか。