つばさブログ

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「死」を体現した映画 『わたしたちに許された特別な時間の終わり』

2014年に公開されたドキュメンタリー映画「わたしたちに許された特別な時間の終わり」が2週間限定で無料公開されている。
https://youtu.be/CzfUFna3AAI

 

電車が人身事故で止まった、遅延した。毎日のよう起きている。だけど遠くの話だと思っていた。しかし、身近な話だ。
現に、腕に傷があったり自殺未遂をしたことがあったりする友人がいる。
もしかしたら、驚く人もいるかも知れないがあなたの隣に普通にいる。
ぼくは彼らのことは親愛なる友人だと思っているし、友人だからこそそんなことはどうでもいい。
彼らにとっての傷や経験は、ぼくの肩凝りや古傷の様なものだと思っているから。

 


この映画は、ぼくの好きなイベント「6jomaコンピレーション」の主催の本間さんが関わってるってことで観た映画です。
東中野の単館のどこか陰虚な雰囲気の場所で、昔デパートの最上階にあった映画館の様な。


この映画は、夢半ばにして自殺したバンドマンのドキュメンタリー。
最初は、単なるドキュメンタリーのはずで撮っていたが主人公増田壮太が途中で自殺してしまい完成させるのかどうかの葛藤があったものの、
増田からの最期の言葉「映画を完成させてね。できればハッピーエンドで」が忘れられず作品にすることを監督は決意した。


主人公が亡くなるまでは、ドキュメンタリーということで撮られていたため主人公がコンテストで優勝するも環境に恵まれない中で歌い続ける姿が流れる。
しかし、だんだんと精神的に追い込まれていき、ある日鬱病と診断される。そして、自暴自棄になっていく様子や周りの人の何も出来ないが何かしてあげたいという気持ちが、文字通りリアルに映し出される。


そして、最期に彼は死を選ぶ。


彼が自殺したから、この映画が良い訳ではない。
日々生活をして入ればどこからか、「死にたい」という言葉が聞こえてくる。
もちろん、本心ではないだろう。
だけど、「死にたい」と言葉があまりにも軽すぎる。
それは、「死」というものの感覚が無いからだろう。
この映画では自殺というものが、「死」というものが、ほんの数センチ隣にあるということを。
そして、「死」の正体を体現しているから良いのだ。(ラストシーンでは「生」についても)

 


「死」は、生きてればいずれやってくる。だが、それを自分で選ぶか自然に任せるかは、自己選択することもできる。
しかし、残されたものの気持ちは「自分で選んだ時」には考えていないだろう。正確には考えられない。
だからこそ、
思い詰めてる人は周りが見えるうちに信頼できる人に助けを求め、
思い詰めてる人が周りにいるならその人が前を向ける様に支援することができたら。

 

自殺を完全否定は出来ないが、逆説的に生きる意味を教えてくれる映画だ。そして、遠くの世界の話では無く身近なの話だということを。
少し、目を伏せたいシーンもあるだろうがこの機会に観て欲しい。

 

 

 

映画HP

http://watayuru.com/