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つばさブログ

音楽を聴いて思ったこと、本を読んで思ったこと

愛は、日食。 ロングヴァージョン

ぼくにとってのハルは、間違いなく君だ。ただ、君にとってぼくはフジではない。
だけどいつだって君は別れ際にハルと同じように「幸せになってね」と願ってくれた。だから、君のためぼくににとっての愛する人を探さなくてはならないと意地を張っていた。


四月になれば彼女は/川村元気を読んだ。
2年もセックスレスなのに来年の4月に結婚式を挙げる婚約者がいる主人公フジの所に、ある日、ある事件をきっかけに必然的に別れてしまった初恋の人ハルから1通の手紙が届く。そしてこの手紙をきっかけとして初恋の人との事を振り返り、何通かの手紙が家に届くたびに本当の愛とは何かを改めて考え直す一年が始まる。

 

本当の愛とは何かと考えるなかで、「いつまでも終わることのないものだと思っていたこと」「愛とはハルといた時のことを言うのではないか?」と今を悲観しながらみていく。

だが過去は過去でしかないことも時折理解する。過去にしがみつくほどハルを追いかけることができなかったのだからと。

ハルと向き合うなかで婚約者とも深く考えるようになる。初めて会った日に彼女には婚約者がいた事を、それでも惹かれあった事を、AIのように何事もシステマティックになっていた事を。

 

初恋の人を思う事が正しいのか?
婚約者を初恋の人のように好きではないが結婚をしようと思う気持ちは正しくはないのか?
初恋の人と婚約者を両方を思う事がいけないのか?とどこまでも真面目でどこまでも卑屈なフジ。こんなフジを自分と重ねて、「君は卑屈だ」と言われたことを思い出した。

 

 


遂には婚約者も家を出て行ってしまう。と共に初恋の人が亡くなっていた事を知る。

そして、最期の手紙に次の事が書かれている。

『私は愛したときに、はじめて愛された。それはまるで、日食のようでした。「わたしの愛」と「あなたの愛」が等しく重なっていたときは、ほんの一瞬。』

「わたしの愛」と「あなたの愛」が等しく重なるのは、誰にとっても「日食」のように一瞬でであること。
そして、「日食」であるからこそ特別であるということ。
何より「日食」であるからこそ その一瞬を何よりも大事にしなくてはいけないこと。
しかし、「日食」であるからこそ、過去のもの、未来のもの、今のもの、どれもが正しくて全てが良いと思うことを肯定してくれる。

 

「あの時が良かった」というのではなく、
「あの時も良かった」と思えたら良い。

 

物語は、ハルのことを忘れずに婚約者と共に過ごそうと「日食」のような現象が起こり幕を閉じる。

 

 

 

ぼくが一番好きな一文は、ハルからフジへの最期の手紙の最期の段落である。
「いまフジが愛する人がいて、その人がフジのことを愛してくれることを願っています。たとえそれが一瞬だとしても、その気持ちを共にしたひとりの人間として。」
これがぼくの思う「エモ(い)」の日本語訳だと思う。クリープハイプのねがいりであり、SUPER BEAVERのありがとうであり、きのこ帝国の東京であり、グッドモーニングアメリカの餞の詩だ。

過去に好きだった人のことを思い出す事は悪くない。偶に思い出して、元気にやってるかなと思うくらいには。

 

ぼくが、ぼくにとってのハルに、進学する大学院が決まった事を手紙で知らせた日に、自分の事のように喜びながら電話してくれたのは、彼女がハルと同じ気持ちだったからかな。

 

君に好かれていた時のぼくを探すのはもうやめた。

だけど、いつかぼくが死ぬ時に『日食」のように君の笑顔が現れたら良いな。君が看取ってくれなくとも。